灰色の抵抗――和田洋一『灰色のユーモア 私の昭和史』(人文書院・2018)

第二次世界大戦中、文化人はどのように生きたか。そこに圧政にも負けず、自らの思想信条を守り、英雄的に戦ったひとびとの姿を見たいという気持ちは自然なものだろう。しかし、『灰色のユーモア』に綴られているのは決してそうした「白い」姿ではない。たしかに「黒い」わけではないけれども。

 

1938年、雑誌『世界文化』がマルクス主義者の宰領するものとみなされ、その同人だった和田洋一治安維持法により留置場に送られた。前年秋にも『世界文化』同人は逮捕者を出しており、その流れであると知れた。けれども和田は熱心にマルクスの著作に取り組んだことはなく、マルクス主義者ではなかった。彼は『世界文化』で亡命知識人の動向など海外の文化情報を紹介することで、ヨーロッパで強まるファシズム勢力への反対の気分を日本に伝える程度のことしか考えていなかった。そんな彼をマルクス主義者として罰しようとする特高と和田のやりとりは、ユーモラスでもあり、黒でもなく、白でもなく、あいまいな灰色のなかに置かれる。

 

黒ではない、というのは、留置場での特高の取り調べが(おそらく和田が大学教師だったために)きわめて穏便なかたちで行われたということである。たしかに恫喝などはあったが、それも最初のころまでで、しばらくすると巡査たちとも親しくなり、好きなときに特高室で出前をとったり雑談したり、新聞を読んだりすることが許されるようになった。数カ月後には、監視付ではあるものの外出させてもらい、銭湯に入ったり居酒屋で酒を飲むこともできた。

 

しかしそのようなある程度自由な状態にありながら、早く家に帰ることだけをただひたすら願い、そのために特高に言われるがまま自らの罪を認め、特高に「和田君には牙はない、狼やのうて、まあせいぜい野良猫や」と侮られていた和田は、白でもないだろう。その特高の意外な甘さと、にもかかわらず彼らの言いなりになっている中途半端な領域に、ユーモアが生まれる。

 

特高係長はまた私に、最近数年間によんだ書物の名前を全部かけといった。私はさっさとかきあげたが、係長はそのリストに目を通して、マルクス主義の高度の理論書がさっぱりあげてないじゃないかと不満そうにいった。私はマルクス主義の経済学や哲学は、ほとんど勉強していない、自分は文学の一研究家にすぎないと答えたが、相手は容易には納得しなかった。しかし私がつぎつぎとかいてゆく手記の中で、私のマルクス主義にかんする勉強の不足加減はおのずとバクロされていった。そして係長は次第に不機嫌になっていった。「君は大学の教授やないか、もっとしっかりせい」とどなられた。

 

罪であるはずのマルクス主義の勉強を、特高から督励されるという逆説。このように、罪人を捕まえるというより、ある人物を罰するために相応しい罪人として作る、ということは当たり前のように行われていたらしい。和田は普段天皇制のことなど考えたこともなかったが、左翼的な天皇論をわざわざ友人から聞いて即席で書きあげたという。「係長の側からいうと、マルクス主義理論の定石のようなものがあって、その定石の軌道の上にこちらがのっかれば、スムーズに取調べは進行したし、うまくのっからないと、係長は腹をたてて、好い加減なことを言うな、とこわい顔をした。」

 

マルクス主義で逮捕されたはずの者が、マルクス主義に対する無知によって叱られる。考えたこともない思想によって罰せられる。罪に合致するように人間を作る。ただしそうした恐ろしい権力は、一方ではひじょうに弱い存在によって運用されていた。特高はもちろんエリートではないどころか、地方新聞の記者程度の給料しかもらっていなかったらしい(当時の三十円とある)。彼らの内に醸成された不平等感が、見下すことのできる他人を得て発散される。また、まだ和田を捕まえる前、張りこみの際にこんなことがあったと聞かされた。 

 

ある夜、『世界文化』の会合が吉田かいわいで行われ、木村部長〔特高〕は会合の行われている家の外で張り番をしていたが、そのうちみんなどやどやと外へ出てきた。木村部長は塀の下にうずくまって隠れていると、誰かがそばへやってきて、暗がりでわからないままに、突然じゃあと勢いよく小便をやりはじめた。小便は直接には木村部長にかからなかったが、小便のしぶきは、ぱらぱらと彼の頭の上に落ちてきたという。そしてその小便はとめどもなくながくつづき、彼は歯をくいしばったままいつまでも小便のしぶきを浴びていたという。その小便をした男は、木村部長の言葉によれば哲学者久野収だというのだが、真偽のほどはわからない。

 

強大な権力があるわけでも、しぶとい抵抗者がいるわけでもなく、なんとなく罪が作られ、罰が下された灰色の時代を淡々と語る本書に、力強いメッセージを読むことはできない。しかし力強いメッセージ――たとえば権力打倒のために立ち上がれ!というような――だけがひとを正しい方向に導くわけではない、ということには気づかせてくれるのではないか。自身の骨のない生き方を恥じるように、和田はしばしば頑強な抵抗者への憧れを記すが、しかしすぐ、そうした抵抗の多くが死に結びつき、絶えていき、また周囲に影響を与えたことに思いをやらずにはおかない。「抵抗を語るときに忘れてならないことは、抵抗した当人が傷つき、倒れるということだけではなしに、被害が家族の者、まわりの人たちに必ずといっていいぐらいおよぶということである。」もちろん抵抗をたしなめるというわけではなく、そうした点でも本書はあいまいな地点にとどまる。

 

しかし少なくとも、英雄的な抵抗者を待望するというのではない抵抗の仕方を考える必要は感じとることができるのではないか。そうしたあり方は、たとえば今年復刊された池田浩士『抵抗者たち』(共和国)の主張とも共鳴するものだ。権力はより隠微なかたちで、ひとびとを罪人となし、意気を阻喪させてゆくだろう。そうした状況のなかでどのように自らを貫くか。その課題は残されている。

 

一人の人物によって一つの時代を体現させようとする試みは、常に慎重すぎるほど慎重でなければならない。ましてや、勝利者にせよ敗北者にせよ、ある一人物を、たとえ歴史の小さなひとこまにとってだけでも〈英雄〉にしてしまうことは、避けなければならないだろう。〔…〕〈英雄〉こそはファシズムの不可欠の要素であり、ファシストの英雄に反ファシストの〈英雄〉を対置することは、ファシズムからの真の解放にはつながらないからである。(池田浩士『抵抗者たち』共和国、2018・03)